My Parisien Life

30歳(渡航時31歳)ギリギリでフランスへワーキングホリデーとしてやってきた大阪人(♂)の珍道中

【負の世界遺産へ】アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所

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Bonsoir à tous !! 本日は丸々とても興味があって行きたかった「アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所」のお話をしたいと思います。

 


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アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所はクラクフからバスで1時間半程で到着します。場所はオシフィエンチムと言う地域にあり、1979年に世界遺産に登録されました。「負の遺産」と呼ばれる事も多い、ナチスにより第二次世界大戦中に多くの人々が犠牲になった悲劇の場所です。

 

クラクフのバスターミナルで前日にバスのチケットを買い、当日は午前6時台のバスで現地へ向かいました。多くの観光客がこの場所に向かう為、チケットの買い方も簡単な英語なら通じますし、上記の画像の様に出発するバスのフロントガラスにはオシフィエンチムと言う文字がポーランド語で書いてあるので、そこまで焦る必要はないですよ!(2019年10月現在の筆者の行き方では)

 

【アウシュヴィッツ第1強制収容所】

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ちなみに筆者は1ヶ月ほど前に、オフィシャルサイトからチケットを確保して訪れましたが、その時点でもガイド付きのツアーは時間帯によっては予約終了と言う感じでした。筆者は朝一番7時台の個人訪問を選択し、バスの到着の時間の都合上7時を少し回ってしまいましたが入場できました。ちなみにガイド付きのツアーは有料ですが、個人訪問であれば無料で入場する事ができます。

 

セキュリティ・チェックを受け、まずは上記の写真の「アウシュヴィッツ第1強制収容所」を観て回ります。"働けば自由になれる"と言うスローガンが掲げられた有名な門ですね…いよいよと言った感じで身が引き締まります。


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アウシュヴィッツ第1強制収容所は、全部で28棟の収容所が建てられており、周りには上記写真に映っている様に高圧電流が流れる有刺鉄線で囲まれております。


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こちらはガス室で収容者を毒殺する為に使われたとされる、ツィクロンBと言う毒ガスの空き缶が展示されている場所です。

 

この後、女性収容者の2トンにも及ぶ髪の毛の展示がありました。基本的にはアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所は撮影可ですが、その中でも撮影が一切禁止されている箇所が2つあり、その内の1つがこの髪の毛が展示されているエリアです。部屋の端から端まで展示されている大量の髪の毛を見て、霊感等が無い筆者ですが少し身体が重くなりました。もう一箇所も撮影禁止の場所で気分がすぐれなくなったのですが、それは後ほど。


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収容者のメガネも展示されておりました。全員がメガネを掛けていたわけではないはずなので、それでもこの莫大な数…初っ端から圧倒される物が次々と展示されております。


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こちらも収容者の義足や松葉杖等の展示物です。ピーク時にはアウシュヴィッツ全体で14万人が収容されていたとされておりますが、身体障害者も数多く収容された事を物語っておりました。


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収容者の持ち物の一つであった鞄も大量に展示されております。持ち主の名前や住所が書かれておりますが、これは収容される際に"収容所から出る際に分かるように"と言われ書かされた為だそうです。


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収容者の写真が飾られている収容棟。こうして写真を撮られたり、髪の毛を刈られ、ユダヤ人や同性愛者等色々な種類に分けられて管理されておりました。こちらに飾られている写真の下には死亡日も記載されていて言葉に表す事ができない気持ちになりました。


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第1収容所に建つ収容棟の外観はこの様な感じで、それぞれの棟が居住棟や人体実験棟等の役割を持っておりました。


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写真左側に写っている縦縞模様の服を着させられ、過酷な重労働を日々課せられていた収容者の人々は、毎日筆者達が感じる事の出来ない想像を絶する絶望や悲しみを抱いていた事でしょう。この気持ちは訪れてみないと感じる事が出来ないと、実際に訪れてみて思いました。


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こちらは11棟の中庭ですが、「死の壁」として有名な場所です。個人的には11棟辺りは第1収容所では外せない場所だと思います。地下には焼却炉と餓死室があり、ここが2箇所目の撮影禁止の場所となっております。ポーランド人で長崎に布教に来ていたコルベ神父ですが、身代わりとして餓死刑になりこの餓死室に入れられておりました。こちらも独特な雰囲気の漂う場所なので、決して軽い気持ちで行かない方がいいと思います。


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裁判で死刑判決を受けた収容者はこの壁の前に立たされて銃殺されました。壁には現在でも弾痕が残り、壁の前には絶えず花が添えられております。


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こちらは絞首刑が執行される場所。同じ11棟の中庭の中にあります。この中庭は、棟内の収容者達には見られないようにされておりました。中庭で何が起きているか分からないまま隣の棟で死刑を待つ収容者も居たと言う事なのかな?


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こちらは屋外で見せしめとして集団絞首刑を行う為の台として使われておりました。"死"がこれ程まで近くに感じられる場所での生活…こうする事で収容者達の抵抗力を無くしていこうとしていたのでしょうか?


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こちらは収容所の所長であったルドルフ・ヘスが、1947年に処刑された絞首台です。この近くには当時ヘスが住んでいた家が見えます。


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第1収容所の最後はガス室へ。ここで"消毒する"と言われ、何人もの収容者が毒ガスで殺害されました。天井には穴が開いており、そこから新鮮な空気を吸おうとして亡くなっていった収容者達ですが、全員が亡くなった後は死体が折り重なり山の様になっていたそうです。

 

その先を進んでいくと焼却炉があり、そこで遺体を焼却しておりました。金歯など遺体に少しでもお金になるような物があれば、それも残らず売りに出されました。この焼却炉では1日で約340体もの遺体を処理する事が出来たそうです。

 

ここまでがアウシュヴィッツ第1強制収容所のお話です。ビルケナウの第2強制収容所へは無料のシャトルバスがアウシュヴィッツ〜ビルケナウ間で往来しており、そちらで移動が出来ます。そのまま無料のシャトルバスに乗り、休む間もなくビルケナウの第2強制収容所へと向かいました。

 

【アウシュヴィッツ第2強制収容所(ビルケナウ)】

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アウシュヴィッツ第1強制収容所から約3.5km離れた場所に第2強制収容所があります。筆者は訪れる前までは第1強制収容所の方が印象深かったのですが、この第2強制収容所は第1強制収容所よりも広大な土地を使い、劣悪な環境で収容者を拘束していたと言う事がひと目で分かる光景でした。この写真は第2収容所へと続く引込線で、映画「シンドラーのリスト」でも実際に使われている有名な景色「死の門」です。


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敷地内に展示されている収容者が入れられ輸送されてきた客車。窓もなくこの場所に連れてこられるだけでも過酷な状況だったでしょう。到着後はすぐに選別をされ、そのままガス室送りになる人達もたくさん居たようです。


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広大な敷地に建ち並ぶバラックやガス室。ガス室等はナチスが証拠隠滅の為に破壊した跡が残っております。第1強制収容所同様、こちらでも多くの収容者達が殺害されております。


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第2強制収容所の広さは1.75平方km、300以上の施設が存在していました。施設の数だけ見ると第1強制収容所の10倍になります。1944年に収容者の数はピークの9万人だったそうです。


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こう言った溝等も収容者に掘らせて造ったそうです。遺体を焼却し、その遺灰を捨てていた場所等も見学可能となっております。見た目は普通の池のようですが、現在でも層になった遺灰が残っております。


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こちらは第2収容所の奥にある本浴場「サウナ」です。ここで収容者の髪を切り、殺菌をして囚人番号と囚人服を分け与えたとされております。


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働ける能力に満たない人達はここで選別され、近くのガス室へと送られたとされております。このサウナでは収容者達が強いられた状況の順に進んでいく様になっております。


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こちらは遺灰を運んだとされる台車です。こちらもサウナ内で見る事が出来ます。この他

、アウシュヴィッツへ強制的に連れてこられたユダヤ人の開放後に発見された写真の展示等も見る事が出来ます。


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広大な敷地内にいくつものバラックが建ち並んでおりますが、レンガのバラックは700人程が収容できたとされております。寝台の上に敷かれた藁の上に、人が多い時は1枚の毛布を2〜3人で使い寝ていたそうです。


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25号棟のバラックは「死のブロック」と言われ、選別されガス室へと送られる女性が収容されていた場所です。隙間から光や風が入り、地面は砂埃が舞う粗末な造りで、当時の劣悪な環境が容易に想像出来ました。


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こちらは木製のバラックの内部、トイレの写真です。木製のバラックは400人程が収容できたとされており、衛生面も良くなかった為にシラミやねずみ等を原因とする伝染病が収容所内で流行する事態となりました。


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暖房装置も2つの暖炉が使用されていた様ですが、写真で見ても分かるように内部の広さに暖房装置の機能が追い付いてなく、冬は藁の敷布団に毛布1枚で寒さを凌がねばならなかったそうです。


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筆者が訪れた時は快晴で青空が広がっていたアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所。当時もこの様な青空が広がっていた日もあったと思いますが、抱く想いは全く違うものであったと思います。こんなに綺麗な景色であるにも関わらず、モノトーンが似合うこの場所と言うのは、やはり過去の出来事があまりにも酷く人々の心に焼き付いているからであると思います。


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さて!以上でアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を後にしまし、クラクフへと戻りました。多分半日ぐらいは居たような気がいたしますが、それでも十分に見る事は難しかったです。なんと言っても第2収容所の広さが…端から端まで全部見たい!!って方は若いうちに行っておいた方がいいと思います(笑)

 

個人で見て回る方へオススメするのが、第1収容所に入ると最初に小さい売店の様な所があるので、そちらで上記写真のパンフレットを購入する事です♪日本円にして500円程だったと思います。もちろん日本語表記のパンフレットなので、それを片手に敷地内を移動すれば効率よく個人でも見て回れると思います。ケチな筆者ですが買ってて良かった…とホンマに思いました(笑)

 

ここで紹介させてもらった以上にまだまだ見る所はございます。そして絶対に現地で、ご自身で、その場の雰囲気を感じていただきたいと思います。話で聞いたり、映像で見たりして知る事以上に、悲しい現実が当時そこにあった事を肌で感じてほしいです。

 

また時間がある時に、行き方や予約の仕方等も追記するかもしれません。同じ人間が創り上げた「負の遺産」ですが、無理をしてでも来て本当に良かったと思った筆者でした。それではまた、次回の投稿までお楽しみに!!

 

Na razie!!

(ポーランド語でさようならww)